朝日新聞のサイトに、私の地元のフェリーに関する興味深い記事が掲載されています。
各支局の話題【淡路「島」だった頃 明石大橋開通15年】(19)フェリーを待つ
http://www.asahi.com/area/hyogo/articles/MTW20130812290130001.html
1969年(昭和44年)の淡路島の炬口港の様子を収めたとても貴重な写真です。
炬口港(淡路島洲本)と深日港(大阪岬町)とを結んでいた「大阪湾フェリー」の在りし日の姿を再び拝むことができるとは、思いもよりませんでした(T-T)
炬口港は淡路フェリーの大磯港などに比べると、駐車場が狭く、お盆やお正月シーズンはこんな感じで、国道までフェリー待ちの車がはみ出して並んでいたのを、子供の頃に見た記憶があります。
写真の左端に写っているフェリーは、「いざなぎ丸」だと思われます。
いざなぎ丸は、1968年に建造された両頭型のカーフェリーですが、後にこの航路に投入される「フェリーみさき」や「フェリーすもと」、「フェリーしんあわじ」と同程度の自動車搭載台数を有する規模が既にあったようです。
逆に言えば、炬口港の港湾施設の都合上、フェリーを大型化したくてもできない、という事情があったのかも知れません。
そして驚くべきことに「いざなぎ丸」は、今でも海外で現役で使われているらしいです。
■GADING NUSANTARA(いざなぎ丸)
http://www.marinetraffic.com/en/ais/details/ships/6807890
インドネシアで、「GADING NUSANTARA」という船名で活躍中の模様です。
確かに淡路島で撮影されたいざなぎ丸と船体の特徴が一致しますが、幾つか不可解な変更点が見られます。
前後2つのブリッジ(操舵室)は、船体中央寄りにずらされ、ブリッジの間(船体中央最上階)に存在していたはずのスカイルーム?的な客室がなくなっています。
マストも形が違うので、別の物に取り替えられているように見えます。
これまで見てきた海外に売却されたフェリーは、定員を増やす目的で客室の増築が行われたものが多かったので、意外でした。
私自身はこの船に乗ったことがあるかどうか定かではないんですが、消去法的に考えれば、子供の頃に乗った大阪湾フェリーはこの「いざなぎ丸」と「フェリーみさき」だったんじゃないかと思っています。
当時の私は、乗ってる船の名前がなんなのか気にしたことも無かったというか、それどころか老朽化した船に乗るのはむしろ怖いと思っていたくらいで、座席に着いたら、どこにも行かずにひたすら目的の港に着くまでじっと待っていたような記憶があります。
今は芝生が張ってあるだけの公園になっている、炬口港の大阪湾フェリー跡地も、島外からの玄関口になっていた時代があったんだなぁと当時のことを振り返りながら、懐かしい気持ちになりました。
・Rusty Indonesian Ferry
大阪湾フェリー(Youtubeプレイリスト)
http://www.youtube.com/playlist?list=PLDB2y91k1HukJXkfSKbkT5sx5JxfISkxo
2014年01月15日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/85350767
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/85350767
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック